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【 6 】09/20 雨:23°

昨日から頭痛がひどいのはこの低気圧のせいだった。降って仕舞えばなんともなくなる。

一日中しっかりと雨の降る沖島を見に行くのははじめてだった。

今日は9月のケの日(日常)を観察しにいく。


10時17分、今日の通船は乗客が多い。

60代~70代くらいの人たちばかり10数人の大所帯で観光にきていた。

通船の船長さんに、私の髪を短くしたことで驚かれ、こんなやりとりができるようになったのかと思いつつ、雨の中でいつもより少し慌ただしそうな中嶋さんに挨拶をした。


港に着くと、紫・黄色・白・赤の4色からなる短冊のような布でできた旗が島の彼方此方ではためいていた。




どうやら22日と23日には秋祭りがあるらしい。

島のはずれにある弁財天とその奥にある山神神社、島の中心部に位置する奥津嶋神社の二箇所で42歳の成人男性は厄払いをおこなうようだ。


しかしこのあいだの台風で、どうやら奥津嶋神社の社が傾いてしまったらしい。

船長さんから「参るときは気をつけて石段登るんやで。」と優しい言葉をかけてもらった。

いざ行ってみると、賽銭箱は安全のためか石段の1段目より下に固定されていた。



瓦屋根は落ち、躯体ごと傾いていた。

その先には折れた椎の木。



昨年は台風のあと、たくさんの雨樋が剥がされたり、潰れたりして使い物にならなくやったものが集められていたけど、今年は屋根や倒木が目立つ。



山の斜面工事によって移り変わる石積みがなんだかこの島の石壁の履歴のようにみえる。


暫くして漁業倉庫では、雨音に紛れて物音がした。

近づいてみると、数え切れないタツベの籠の中にひとりの漁師さんが手を動かしていた。




プラスチック製になったその籠は、かつてはひとつひとつ籠で編まれていた。

もう島にも残っていないらしい。



今はプラスチック製のものを手直ししながら使っているようだ。

週末に行われる秋祭りの話やこの島の話をたくさん聞かせてもらう。



雨の中で見たその姿は、私たちの生きる時間の延長にある生活として今も残り続いていることに、不思議な感覚になった。

何度も来ているはずの島で、島民たちの息遣いを感じた。

あと10年したら漁師も居なくなる。

どこか諦める気持ちが混じる表情と裏腹に動く指先は、染み付いた慣習のなかで生きるこの人を表していた。

「またおいで。」そう言ってくれた人はいつまで居てくれるだろう。






去年ビワマス漁に連れて行ってくれた、漁師さん夫婦の御宅へ。

2人の漁姿の写真をプレゼントしに行った。

長年船に乗っているけれど、自分たちの仕事姿の写真は一枚もなかったそう。

普段はちゃきちゃきした北村さんの、照れた表情が見れてとても嬉しかった。

少しでも何か返せたらいいな。

そのあと北村さんの漁業倉庫を少し見せてもらうことに。

港に並ぶ方ではなく、自宅近くにも倉庫があるようだ。

木造の小屋には畑で収穫したもの、鮒寿司の桶や重石、シーズンではない網、修繕の道具…。たくさんのものが保管されていた。


沖島民藝館という看板を今すぐ立てかけて欲しい。

よく軒先に干してある「三つ編み」についても聞いてみた。

この三つ編みは、鮒寿司に欠かせない道具。




重石を乗せる前の被せになるそうだ。

昔からのこの編み方は、鮒寿司だけでなく他にも応用されている。

一見ボロボロの布紐。これはもう30年使い続けたそう。着古した着物などで作っていたそう。

どうやら昔は、畑や山へ行くときに自転車や子どものお守りで前が塞がっていても使えるようにと、括って運んでいたようだ。


よく見ると真ん中は太く、先に行くにつれ細く編まれている。限られた資源の中での知恵が生活を支えていたのだと分かる。

子どもの頃は、採ってきたばかりの柔らかい稲の藁を叩いてしならせ、布紐の中に入れていたらしい。

「今はお金を出せばものが簡単に買えるけどね。

やっぱりお母さんやおばあちゃんが家で作っていたのを見てたからね。気づいたら編めるようになってたわ。」と笑う、漁師さん。



やっぱり素敵だなぁ、沖島。

自分の生活を自分で作っていることがここの歴史をつくってきたのかもしれない。

今日の島は雨でも人気があった。

16:00時の便で島を後にすると、堀切港にはいくつものバスが止まっていた。

どうやら検診車のようだ、見知った顔の島民とも会う。



この日は雨だったけれど、島で初めて同年代と出会った。

漁業会館で前から気になっていた、沖島うどん(かき揚げにタツベが入ってる!)を食べて、温まっていると、1組の女性とあった。

話しているうちに、同い年だったことを知る。

院生になってから、めっきり同年代に合わなくなったものだったから、お互いの好きなことや価値観について話しているとあっという間だった。


彼女たちも島が好きで、これまで南の方の島を中心にいくつか行ったことがあるみたいだ。

どこかに所属し働ける人たちはつくづく凄い。

職を変えながらも、それは思い描く自分に近づけてゆく作業に見えて、決して無駄でも失敗でもないんだなぁと感じた。

また他の島で会えるかもしれない。

この日は雨で島内でも、島民とはなかなかすれ違わないだろうと思い、個人的にオススメ沖島スポットを伝える。

何だか自分の話で良かったのか?と思いつつも、帰りの船で一緒になると、話していたところはまわってくれていたみたい。嬉しいなぁ。

あれ、宣教師ってこんな心境だったのかな?そりゃ広めるわ。


satomi



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